先住民 ハイダ族について

サイトマップ

ハイダ族

クイーンシャーロット島を舞台に豊富な海洋、森林資源を高度に活用した先住民

トーテムポール
▲世界遺産ニンスティンツのトーテムポール


ハイダ族の分布と村

「ハイダ族」
北米大陸そしてカナダで暮らしていた先住民族は、住んでいる地域の気候や主食とする食べ物の違いなどによりそれぞれ伝統的な生活習慣や文化などを持ち、それぞれの部族が使用する言語だけでも50以上あると言われ、現在でもその地に住んでいた部族の言葉が地名に使われているところもある。 それほど先住民族の歴史が色濃く残されているカナダだが、その中でもブリティッシュ・コロンビア州沿岸部で生活していた北西海岸先住民が生活環境に最も恵まれ、海ではウニや貝その他海洋生物、また陸上(森)では動物や木の実などが容易に手に入れることが出来た。 また、温暖多雨な気候条件による温帯雨林の木々を利用しての住居や移動の為のカヌー作り、樹皮を利用しての衣服作り、そして先住民族を語る上で忘れてはならないトーテムポールを作るといった文化を育むには適した場所でもあった。

今でもその先住民族の生活や文化・歴史などを容易に辿ることが出来るのがブリティッシュ・コロンビア州にあるクイーンシャーロット島である。 その島を基盤に生活するハイダ族(島の人口の約24%、1400名程度が今も島北部グラハム島で暮らしている)の歴史は世代から世代へと語り継ぐ口承の文化で、言い伝えられたことによると、少なくともこの島には7000年以上の歴史があり、1700年代後半までには126を超える村に6000〜7000人以上が生活していたとのことだ。 1700年代後半には、ヨーロッパ人との毛皮交易をすでに行っており、このことはヨーロッパの歴史書にも残されている。当時は南のアンソニー島や北のクロークベイなど冬の嵐を少しでも凌げるよう入り江を中心に集落があった。 その後しばらく交易は続くが、1860年代にヨーロッパ人により持ち込まれた疫病(主に、天然痘)が蔓延し、ハイダ族の人々は次々に病に倒れ、集落を捨て、比較的病人の少なかった北のグラハム島(マセットやスキッジゲイト)、またカナダ本土へと移住していった。 1911年の記録によると、その人口は僅か589人にまで激減したと記されている。そして捨てられた集落には住居跡(ロングハウス跡)やハイダ族の文化トーテムポールがそのまま残され、それがユネスコ世界文化遺産に指定されている。ハイダ族の世界では霊的なものを重んじる。 家柱や墓標など色々な用途で作り建てられたトーテムポールは、その土地にあるから力を発揮するのであって、その場所から離れて、例えばその芸術性に目を付け持ち去られたり、博物館に保存されたりしたものは、その力を失う。自然から作られたものは自然に帰る、 倒れて苔むしてたとしても、それは新たな生命への糧となるという考えの下、今もウォッチマンと呼ばれるハイダ族の人々がその文化や歴史、自然遺産を我々訪問者に対して語ってくれる。

また、トーテムポールの先端にはよくウオッチマンの人物像が彫られるが、これは何千年にもわたって豊かな自然の中で独特の文化を育んできたハイダの精神を象徴するものであり、そういう人々が現在、朽果てようとする地域を見守っている。
「ハイダ」とは「人々」を意味する。 クィーンシャーロット島は、、人が近づく事のできない海に守られた小さな国の様である。その国で彼ら独自の文化や社会組織が生まれた。彼らの話す言語もかつてはアサバスカ語族やトリンギット語族とともにナ・デネ語族と同系統の言語と考えらていたが、現在ではハイダ語を孤立言語として扱うのが一般的となった。

トーテムポールには大きく分けて三種類の意味を持つ。お墓としての墓標、各家の前に立てる家紋、そして祭や記念として立てられるメモリアルポール。全てのトーテムポールには動物と人間が刻まれ、彼らはそれぞれの家系の始まりは動物が化身したものだと信じており、クマ、オオカミ、クジラ、サーモン、ハクトウワシ、カエルといった生き物は今日でもハイダ族の社会を構成する母体となっている。

先住民特有の住居ロングハウス跡
▲先住民特有の住居ロングハウス跡
ビル・リードのお墓
▲ビル・リードのお墓

ビル・リード (Bill Reid 1920 - 1998)
カナダで最も著名な先住民彫刻家で芸術性の高いハイダの文化を世の中に知らしめた第一人者であった。彼の彫刻はバンクーバーのUBC人類学博物館、バンクーバー国際空港に見ることが出来る。

 

ページトップへ